地方国公立大学生が大学生活を振り返る
こんにちは。ひのひかりです。
私の学生生活もいよいよ終わるということで、今回は大学時代を振り返ってみようと思います。
このブログでは割と珍しく(?)思いっきり自分語りをしていくので、違うなと思った方は今すぐ閉じることをオススメします。笑
目次
自己紹介
東日本出身で西日本の大学に通う文系大学生です。
これは地方あるあるなのですが、所在地や学部を話すと簡単に特定できてしまうので、西日本の田舎にある国公立大学くらいの情報で堪忍してください。
学部も例によって詳しくはお話できませんが、人文科学系統もしくは社会科学系統の学部です(文系なのでそれはそう)
https://hinohikari.net/hinohikari/
自己紹介については専用のページを設けているため合わせて見てもらえたらと思います(3分あればおおよそ分かると思います)
進学の背景
自称進学校に通っていたためあまり考えることなく進学を決めました。
当時は社会科(特に日本史)が好きだったので歴史学を学びたかったですが、主に学力的な問題で学部を変更し、今に至ります(ざっくり)
ここからは大学1年〜4年の生活をざっくり振り返ります。
【注意⚠】学歴コンプ、歪んだあまのじゃく的思考が含まれています。ご注意ください。
大学1年
入学前
今となってはしょーもない話ですが、大学1年前半は学歴コンプとの戦いでした。
私は国公立大前期試験に落ち、私大受験もほぼ落ち、後期試験を経て大学生になりました。合格発表は3月後半でした(かなり遅い)
後期試験で受けた大学はテキトーに選んでしまった(日程的に受けるつもりがなかった)ため、正直あまり乗り気ではなかったです。(テキトーに選んだ自分が悪いのは言うまでもない)*1
いわゆる「不本意入学」をすることになった私でしたが、当時は本気で編入試験を考えていました。 w
ちなみに不服だった理由をお話すると、
- 単純に志望校に行けなかったこと(正直前期試験も志望校か怪しかった)
- 後期試験で合格した大学の地域が想像以上に田舎だったこと
の2点です。当時は大学の肩書こそが全てだと本気で思っていたため、勝手に受けて合格しておきながら憂鬱でした。自分語り止めたくなってきた。
おそらく学歴コンプの人間って割とこんな感じだと思ってます。
ちなみに自分の通う大学については上記で触れています。合わせてどうぞ。
入学直後
先述のとおり転学するつもりだった私は、特に希望を抱くことなく入学しました。
後期試験の際に大学には訪れているため大学を見ても特に思うことはなく、友達も作るつもりはありませんでした(まぁ転学するならいらないよねって考え)。
しかしその思いとは裏腹に、1日目のガイダンス前に話す人ができました。
彼らとは今でも続いていており、かなり早い段階で良好な関係を築けたことで大学を続けることができました。もし彼らがいなかったら本当に転学してたかも。
あとこれは完全に余談ですが、大学に通い始めた当初はみんな関西弁に聞こえてました。
岡山弁、岐阜弁、広島弁、香川弁、福井弁、大阪弁、播州弁、鳥取弁、京都弁、博多弁など色んな方言を話す人と知り合いになりましたが、「へぇ〜香川って関西弁話すのか」みたいな感じで違いがサッパリ分かりませんでした(今でも詳しくは分からない)
前期
①講義について
1年前期は特に必修科目が多く、受講可能な講義数を最大で取ったこともあり言うほど自由ではなかったです。
その必修科目も基礎となる座学が多く、そのうえ外国語学部ではないにも関わらず週3で英語があるという謎カリキュラムだったこともあり、正直クソつまらなかったです(他の大学もそうなのかな?)
クソつまらなかった、とは言いましたが講義時間が長いこと以外はそこまで大変とは感じませんでした。3月中旬まで受験勉強してたような人間ですしお寿司
②サークル・友人について
何度も言うように当初は転学を考えていたためサークルなんてもってのほかでしたが、新歓(新入生歓迎会)にはいくつか参加しました。まぁ結局入らなかったけど。
サークルには所属しませんでしたが昼休みや放課後に友人とテニスやバドミントン、キャッチボールやピアノを弾きに部室にお邪魔したことはありました。自分にはこのくらいがちょうどよかった。
これは自分個人の考えですが、サークルに入らなくて全く問題なかったです。
友人については先述のとおり想像以上に良好でした。
10人弱で誕生日パーティーなんてのもやりました。陽キャなら当たり前にするのかもですが(?)、こうして割と盛大にやったのは初めてでした。
餃子作ってロシアンルーレットとか、今思うと割と凝ったことしてたなと思います。
③大学生活について
基本的に家と大学を行き来する生活だったため、思っていたほど田舎だからどうとかそういうことはありませんでした。
また、GW(ゴールデンウィーク)は高校時代の部活の大会にて後輩を応援?しに行く予定があったため帰省しました。1年のGWは遠方でも帰省する人が多いっぽい。
このとき「地元って割と便利なトコだったんだな」と思い、そういう意味では縁もゆかりもない地方への大学進学は無駄じゃなかったのでは?と思いました(良いのかこれ?)
試験も特に苦戦することなく無事夏休みを迎えました。
夏休みは地元で自動車免許を取りました。本免学科試験は100点満点。警察官の方に褒められて嬉しかった(夏休みの日記かな?)
後期
①気持ちの変化
後期に入り、この頃には転学する気持ちはほとんどなくなっていました。
この背景には「なんかもう面倒くさいな」という気持ちが大きかった。
しかしモヤモヤする気持ちが消えることはなく、この頃から就活を意識するようになりました。結果から言うと意識しなくても良かったけど。
とりあえずは話のネタ、特に「就活でのネタになる」を行動指針にするようになりました。
②語学
転学をやめ、学内で将来を見据えて何か行動しようと考えたときにまず思いついたのが「留学」でした。就活ネタの定番にして実用的なネタです。
しかし、留学費用を稼ぐほどのやる気はなかったし、そもそも英語が苦手だった。
とはいえ何かしたいなと思い、当時大学が募集していた「日本に訪れた留学生と泊りがけで行う学生交流」に参加しました。
正直言って、英語力もコミュ力もなかった自分にはクッソキツかった。
コミュ障すぎて他の日本人学生とすらまともに意思疎通できなかった気がするし、夜みんなが英語で人狼ゲームしてる中逃げ出して寝たフリとかしてました。
これ以上の話は恥ずかしいのでしません。まぁでも参加したことを後悔はしてません。
これも先述の友人がいなければ参加してなかっただろうし感謝しかない。
③アルバイト
この頃からアルバイトを始めました。居酒屋の厨房バイトでした。
地方ということもあり時給が低く(東京の最低賃金未満)、当時は地元の最低賃金より低かったため極めてやる気がなかったですが、まかない料理が出たためよしとしました。
当初は週2〜3程度しか入ってなかったですが12月になると状況は一変、忘年会シーズンはしんどく、この頃から「忘年会とかいうクソ風習廃れろ」と思うようになりました。
本来は午後10時閉店のところを長いときは午前2時まで働いたりと、流石にしんどいと思いました。
若干話はそれるけど、厨房は忙しくなると明らかに殺気立つから本当に怖いです。
とはいえ終わったあとの「終わったー」って感じのゆるやかな雰囲気はギャップがあって割と好きでした。緩急激しい職場といえるかも。
大晦日までバイトをし、その後急いで支度をして帰省、数日ゆっくりしました。
④その他
クソ講義がありました。
プログラミングの講義でしたが教授は座ったまま、学生は市販の本を読み勧めながら書かれている課題を行うというものでした。私は途中で行くのを辞めました。
これが大学生活唯一の落単となりました。
④春休み
大学生の春休みは高校までと違ってとにかく長い!
自分の在籍する大学では1ヶ月半〜2ヶ月弱くらいありました。
しかし大学1年の春休みに自分が何をしていたか全く思い出せません……。かすかに覚えてるのは高校の友人とボーリングしたことくらいでしょうか……。
大学2年
前期
①ゼミ
正式名称ではないですが、いわゆるゼミです。私の通う大学では1・2年合同で行う科目がありました。
もちろん1年前期・後期も受けましたが、2年前期はなぜかゼミのリーダーに。
結果的にES(エントリーシート)に埋める程度のネタにはなりました。
このゼミでは会社にアポを取ってアンケート調査の依頼をしたり、買い物客に突撃してアンケートを書いてもらったりなど結構アクティブな調査を行うなどしました。
今となってはやって良かったなとは思っています。
話ついでに話すとゼミの学内発表の後、自分のグループだけ訳あって全く別の会に参加することになり、某県知事や某社社長の前で発表しました。カミカミだったけど。
②第二外国語
自分の大学では2年次に第二外国語が必修であり、私はロシア語を選択しました。
大きな理由はないのですが、しいて言えばアニメ「ガールズアンドパンツァー」の影響を受けました。カチューシャかわいいよカチューシャ。
巻き舌のエルと巻き舌じゃないエルがあったり、男性名詞や女性名詞、中性名詞など英語とは違った要素も多く楽しかったです。
「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」「ヤー(私)」「ダー(はい)」「ニェート(いいえ)」「ハラショー(素晴らしい)」「スパシーバ(ありがとう)」「ユニベルスチエート(大学)」「ボーシチ(ボルシチ)」「ダスビダーニャ(また会いましょう)」「イクラ(イクラ)」etc…など、断片的な記憶でスペルはもう書けないですが、色んな言葉を覚えました。
1回はロシアに行ってみたい……。
③その他講義について
上でロシア語について挙げましたが、学業に関しては1年の頃よりは面白くなりました。
1年次は基礎的な部分が多く、必修科目も多かったですが、2年以降は専門性のある講義も増え、楽しいものも出てきました。
後期
①居酒屋のバイトについて
1年後期から始めた居酒屋の厨房バイトを辞めました。
ここであんまりバイトの話をしても仕方ないですが、待遇面はやはりよろしくなかった。
時給がイマイチな上に午後10時以降も時給が上がりませんでした(法的に平気なのかこれ)
あとは学生バイトでたびたびある「辞めるときは他の学生を連れてこい」ってやつ。
友人の友人や後輩に声をかけたりもしたけど結局うまくいかず、なんかもうめんどくせーなと思い、結局そのまま辞めました。次なる生贄を探す行為が何というかしんどかったです。
あとこれは居酒屋バイトあるあるかも分かりませんが、辞めてからもしばらくは「いらっしゃいませー!」って言葉を聞くと反射的に復唱してしまいそうでした。笑
あとは飲食店に来ると厨房の中を一瞬見てしまう、とかw
結果的に居酒屋バイトは辞めてはしまいましたが、飲食店で働いている方たちに自然と敬意を払うことができるようになったなど、良い経験となりました。
なんだかんだアルバイトは就活の鉄板ネタ(?)になるのでそういう意味でもして損はないです。
これ以降一切バイトをやらなかったのかと言われるとそんなことはなく、地元の飲食店などでちょくちょくバイトはしていました。
②講義について
大学2年にもなると「サボること」を覚えました。多くの大学生もそうなりがちとは思いますが、私の場合、友人から「クズ」「サボり」「久しぶり」と呼ばれるレベルでした。
とはいえ少なくない学費がかかっているため単位はちゃんと取ってました(決して誇れませんが……)
※一応言っておきますが、サボりを推奨しているわけではありません。学費を払っている以上、よっぽど興味がないもの以外はそれなりに興味を持って受けるべきだと思います。
大学前半のまとめ
前半の感想としては「割と振り返ることあったな」って感じでしょうか。
あと当時の自分の真面目なときとそうでないときの差が激しかったなって……。
基本的に学生生活に焦点を当てているため趣味の旅行の話はしていませんが、それでも削る話が出るくらいにはネタがありました。気が向いたら今回書けなかった話もいつか書きたいですね。
後半はゼミとか就活とか卒論とかについて書いていきます。
ひとまずここまでご覧いただきありがとうございました!
*1:「ドラえもん」てんとう虫コミックス第32巻収録